「期待している」と言われたら、あなたはどんな気持ちになりますか?

期待という言葉の意味は、時代と共に変化してきたように思います。

戦争に負けて荒れ野原の日本を前にして、わたしたちは自由を手にして、自分たちの未来に「期待」して働きだしたのだと思います。その時の「期待」は、新しい日本への期待や、より豊かな暮らしを得られる社会への期待、そしてそれに貢献する自分自身への「期待」がありました。

こんにちは、日本セルフエスティーム実践協会(JSELジェイセル)の小西です。

戦後から80年が経った今、「期待」という言葉から私たちは何を経験してきたのか。そしてわたしたちは、社会の荒波にどのように適応してきたかをみていこうと思います。そして、これから何をわたしたちは「期待」するのかを考察します。

社会とともに、言葉の捉え方は変わっていく。「期待」とは・・・。 

私は、他者から期待されることは、認められたことと思っていました。しかし今、Z世代は「期待されることが恐いと感じる」という声をよく聞きます。

しかし良く聴くと、自分にまったく「期待」しないということでなく、失敗しないための慎重さや、過度の期待を持たれることへの不安の裏返しと受け取ることができます。

また挑戦をしたくないのではなく、過度のプレッシャーから自己防衛していると捉えることができます。

迷ったらやらないという選択をしがちになるわけです。

「期待」という言葉一つとっても、その捉え方が世代間で違ってきたと思いました。社会の急激な変化から言葉の受け取り方が変わってしまったのでしょう。辞書では次のように書かれています。

学研の常用国語辞典では、「期待」とは、①心待ちにすること。②当てにして待つこと。

三省堂の辞書によると、「期待」とは、あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること、または当てにして心待ちにすることを指します。

*

「期待」の捉え方は、どのように変遷したのか

80年を振り返り、各世代から「期待」の意味を探ってみました。この80年で、団塊世代、X世代、Y(ミレニアム)世代、Z世代と4つの名前がつけられています。

私は団塊の世代なので、自分たちの未来に「期待」した戦後すぐの世代になります。時代的にはX世代に近いように思いますが、東京オリンピック、1970年の万博、東海道新幹線など見るものすべてから、エネルギーがほとばしっていました。自分も会社も、なんでも実現できると「期待」していたのかもしれません。

X世代は、1965年~1980年ごろ生まれた人です。右肩上がりの経済、つまりバブル経済を経験します。終身雇用で生活の安定を味わってきたのです。成果主義や企業の競争の激化が進みました。かれらは、組織内での責任遂行を重視するため、その組織の「期待」を現実的な目標に落とし込んで、組織にどれだけの「実質的な価値」をもたらすかを冷静に判断し、組織におけるプロフェッショナルとして貢献し続けました。

しかし、1990年から始まったバブル崩壊、リストラなどを目の当たりにしたことで、生活の安定は崩壊し未来は不安しか見えない状態となりました。組織の期待に応えてきたのに、裏切られた思いもあるのではないかと思います。この世代にとって「期待」は、自分の人生を会社の成長に注いだと言えそうです。

Y世代は、1980~1996年ごろに生まれた人です。インターネットの普及・携帯電話の進化が増加しました。2002年アメリカの同時多発テロが起き、世界が不安になる一方で、2008年のリーマンショックを経験し就職氷河期や不況、格差の拡大を目にして、「期待」ではなく世界的不安定さを認識することになりました。

組織と言うよりも自分。自律的にお金を稼ぎ、自分で生き抜くことが重視され、競争ではなく、共感や協調の価値観が醸成されました。「期待」は、自分が生き抜けるかどうか、そのために自己成長することと捉え、「意義」や「学び」を重視し、目的が共有されることを望むようになったのです。

Z世代に移ります。1997~2012年ごろ生まれた人です。不確実社会をみて、将来には「期待」や希望が持てないと感じており、コスパや合理性を求める傾向になりました。デジタルネイティブとして、インターネットやスマートフォンが身近な環境で育ちました。彼らは、デジタル・タトゥーによる投稿された文字や画像、動画などの自分の将来に悪影響を及ぼすことが拡散したら、半永久的に残り続けてしまうという怖さを知っています。

そのため、「期待」は、失敗できないという“プレッシャー”として受け止められたのです。彼らが「期待」を文字通り受け止めるためには、安心して挑戦できる環境、つまり心理的安全性がある場所であることが大事なのです。また、東日本大震災によって、物質の豊かさよりもつながりや安定を大切にする意識の高まりから「期待」することよりも生活の安定、自分らしく生きることを望む傾向になっているようです。

このように時代と共に「期待」の捉え方は、変化し続けてきました。それは、過去の社会変化や環境変化を経験して、その苦難を乗り越えるために、どのように「適応」すれば生き抜けるかを わたしたちは学んできたからだと理解しました。

そしていま、世界での日本は、出遅れ感が否めません。国内では値上げ・値上げで生活を切り詰めて、そして給料が上がっても実質は上がらないなど、景気の良い話を聞きませんね。

社会が萎縮してしまったのかもしれません。それによって「期待する」ことも弱くなってしまったようです。

Z世代たちは、人類の新たな生き方を模索していく

彼らは「変えられない大きな社会構造(政治や経済)」に絶望するのではなく、きっとその中で「いかに自分や身近な大切な人を幸せにするか」という、地に足のついた幸福論を模索しているのです。

彼らにとって「期待」を文字通り受け止めるためには、安心して挑戦できる環境、つまり心理的安全性がある場所であることが大事だと考えています。

Z世代の彼らだけではありませんね、わたしたちの誰しもが、心理的安全性がある場所「心地よい場所」を求めています。それがなければ、人を信じようとは思えないからです。ヒトを信じなければ、人に「期待」することは出来ないし、人から「期待」されても、不安になるだけですから。

私たちが、「期待」していくことは。

不確実の中を適応しながら生き抜いてきました。私たちの未来は、新たな生き方を「期待」を持って模索していきましょう。

いろいろな環境変化を乗り越えてきたX,Y世代にとって、「期待」する気持ちは、生きる力を生みだすものだと理解しているはずです。

未来を前に進めるために「期待」することは。いま生きている社会が「心地よい場所」であってほしいと期待することです。

ひとり一人の「心地よい場所」を考えてみましょう。

「そんなことを考えても無駄だ!」と、決めつけないで。ちょっと、想像してみましょう。

あなたはいままでに、どんなときに「心地よさ」を感じましたか。それは、どんなことかと自分に問いかけてみることです。

具体的にどんな世界なのかを思い描いてみると良いと思います。そしてあなた自身が「心地よさ」を感じる暮らし方も考えてみてください。

日常の中で大切にしてきたこともあるでしょう。もう少し多くの時間を費やしたいこともあるかもしれませんね。あなたの心が心地よいと感じる時間を生みだしていきましょう。

それが、あなたの「期待」になります。自分の中の「期待していること」を言葉にしてみることです。でも、「期待」は辞書に書いてあるように待ち望むだけでは手にい入りませんね。

「期待」が設定できたら、その期待に近づくために、何をやればよいかが見えてくるものです。

「期待」は、実現するための行動を促し、努力を続ける原動力を生みだします。

あなたは、その期待をもって、なにを行動をするかを決めて、「心地よい一年」を手に入れるために動いていきます。

自分を大切にして、心地よい日々を過ごすために。